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2021/04/14 17:34

こんにちは。#日本一サッカーが上手いソムリエ こと神沼です。

こちらのブログはまだ会社を辞める前に描いたものです。ぼくの起業にたいする想いを綴っています。

それではどうぞ。

神沼が生まれ、育った町は神奈川県の横須賀市久里浜という町。横浜から40分弱、東京なら1時間ちょい電車で南に走るとようやく着く。海があって程よい田舎町。

そんな久里浜で生まれた僕は15年間を横須賀で過ごし、高校は石川県で3年間寮生活。

大学は東京の大学に通い、その後は都内の会社に就職。現在は東京に住んでいる。


都内はすごい。めちゃくちゃお金を稼いでいる人とか、めちゃくちゃ可愛い女の子とか、

めちゃくちゃサッカーがうまい人とか、年齢、出身、生き方など、バックボーンが全く違う人たちが混在している。毎日ほんと刺激的で、めちゃくちゃ楽しいし、成長できる環境で過ごさしてもらっている。

でも僕は東京があまり好きではない。人が溢れていて、歩いているといちいち人を避けなきゃいけない。

満員電車もえげつないし、海もない。星も見えない。


だから今でもたまに癒しを求めて横須賀に帰っている。

高校で石川県から帰省した時も、今でもたまに横須賀に帰るときもそうだが、いつ帰ってもそこには変わらない地元の景色、海、仲間、家族がいる。

常に変化の絶えない環境で過ごしていると、こうゆう不変的な環境、いつ帰っても変わらない地元には毎回癒される。

地元が好きだから、大学は4年間横須賀から2時間かけて通った。就職しても1年半は自宅から通った。

さすがにサッカーも仕事もやりながら横須賀から通うのはきつかったが、夜遅く帰宅して夜中に久里浜海岸まで走って海を眺めると、今日も最高な1日だったなーと思えた。


昨年、芸能人の自殺がメディアで多く取り上げられたが、自殺者の数はコロナの死者数よりも圧倒的に多い。今は心の戦争とも言われている時代。僕は海の近くに住めば自殺者は減ると思っている。それくらい自然の力ってすごい。

横須賀から外に出たからこそ、横須賀の良さに気づけた気がする。


半年くらい前のこと。この地元の良さを、もっと都内の人とか、逆に地元の人にもっと伝えていきたいよなーなんて海(上野 海)と飲みながら話していた。最後は大好きな横須賀に帰って家族持って暮らしたいよなーなんて。海は僕の小学校からの地元の幼馴染で、戦友でもあり、親友でもあり、心友でもある。小学生から大学生まで、一緒にサッカーで切磋琢磨してきた。

海とはいつも飲みに行くと、2人の想いを熱く語って、最後はカラオケで締めるのがオチだが、海から「俺らっていつもこうやって話してるけど、結局いつ横須賀でやるよ?」といわれた。

サラリーマンに僕は性格的に向いていないので、(僕のことをよく知っている人は皆わかると思うが(笑))

早く脱サラして自分で仕事ができるようになりたいとざっくりは思っていたが、正直海とはやろうと思ってなかったし、ましてや横須賀でビジネスをやるなんて、老後に趣味程度でみんなとワイワイやれればいいやくらいに思ってた。

だけど、お世話になった横須賀でなにか少しでも俺らにできることがあるのであれば、やる価値はあるし、何もかも溢れかえっていて、何不自由のない東京でビジネスにチャレンジするより、何か自分らしくていいなと直感で思った。

「来年やろう。」と僕は答えた。

こうしていつもは熱く語ってカラオケで終わる飲み会で、僕は仕事を辞めて横須賀で海と一旗あげることに決めた。それから2週間以内に会社と親に辞めることを報告し、来年4月からの独立に向けて本格的に動き始めることになった。


会社の名前は、

”株式会社SEA”

僕らの大好きな横須賀の”海”と僕らの名前に”海”が入っていることと掛けて、ものの5秒もかからずに決めました。

僕らの理念は、
「横須賀をもっと魅力的な街に」
「横須賀の人々がもっと豊かになれる環境をつくる」
「お世話になった方々への恩返し」


24年という短い人生の中でも、何度か大事な選択を迫られることはあった。その時も今も、そっちのほうがワクワクするとか、楽しいとか、カッコよいと思う方を選択してきた。

今までの自分の選択に後悔したことは、一度もない。

ここまで生きてきて関わって下さった全ての人たちへの感謝を、体現できるような会社を作っていきたいと思っています。